三島由紀夫「葉隠入門」

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神戸では先週末より「いかなご漁」が解禁となりまして、そろそろいろんな人が醤油だのザラメだのショウガだのと買い占めに走っているようです。
ちなみに仕事場近くの店では、「1キロ2300円、1人2キロまで」となっていました。
昨日は1キロ1500円で1人4キロまでだったので、日によってずいぶん違いますね。
さて、三島由紀夫の「葉隠入門」を読みました。
葉隠というと山本常朝の葉隠であって、あの「武士道とは死ぬことと見つけたり」というやつです。
あれは続きがあって、「武士道はいふは死ぬ事と見つけたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に子細なし。胸すわって進むなり」というもので、別に武士は死ねとか言ってるわけじゃないです。
葉隠は実のところ、現代での実践的ビジネス書みたいな本で、
「明日の準備は前の晩にすましとけよ」とか、
「酒席では乱れがちだから気を引き締めとけ」とか、
「行いの悪い部下は一年待って、暮れになってから暇を出せ」とか、
「出席者を事前に説得しといて、会議を開くと同時に合意に達すると便利」などといった、ことも書いてあります。
つまりこれって「生きるための哲学書」なんですよね。
他にも「十五年ぐらい先のことも考えとけ」とかある。
となると、「死ぬことと見つけたり」をそのまんま「生きるか死ぬかなら、死ぬ方選ぶ」とだけ解釈するのはちと違う。
武士は命がけで主君を守るのが仕事かもしれんけれども、普段は主君の下で国の経営のために働いてるんで、チームワークのできない馬鹿では困る。
だから毎日これが最後と覚悟して生きておれば、何ものかが蓄積されて、一瞬一瞬、一日一日の過去の蓄積が、ものの御用に立つときがくるよ、と、そういう本です。
スティーブ・ジョブズも、「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることを私は本当にやりたいだろうか?」と自分に問いかけて、ノーが続くなら生き方変えろとか言ってた気がします。
そういえば徒然草にも、「人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」なんてある。
これは「みんないつか死ぬって理解してるのに、のほほんとやってるじゃん。そしたら急にポックリ逝く。干潟がいつのまにか満ち潮になってるのと一緒だよな」ってこと。
世の中の自己啓発本なんて、結局行き着くところはこれです。
インパクトのある言い方をしたら「死ぬことと見つけたり」になっちゃった、ってことでしょうか。