『もののけ姫』テレビ放映実況メモ

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テレビ放映されていた『もののけ姫』を観ながらSNSで連続投稿したまとめ。

タイトルバック。本来はここに「アシタカせっき(伝説)」と入るはずだった。
バックの絵は、一つ目にいくつもの角が生えています。
一つ目=天目一箇神であり、鉄生産民。角がたくさん生えているのは作中におけるシシ神。
そのふたつを合わせ持つ者、それはシシ神に「生きよ」と力を授けられ、それでいて森をつぶしていく人間と共に生きることを決意したアシタカに他なりません。
人と自然の間にあって、両方を救おうともがき苦しむ。これは『風の谷のナウシカ』と同一のテーマでもあります。

サンという名前は、当初原案が「山猫神と生贄にされた3番目の姫」の物語だったことによる。
3番目の姫=サン。
山猫神のキャラクターはモロとなり、ルックスはトトロへと昇華された。

作中では全く分からないが、モロと乙事主は若い頃は恋人同士だった。
これは宮崎駿が美輪明宏に演技指導する際に、そう説明している。
その前提で見返すと、モロの「少しは話の分かるやつが来た」とかラストで「とうとう言葉も分からなくなったか……」といったセリフの奥にあるものを想像して、これまた泣きそうになる。

あの寝床で、サンとアシタカは結ばれている。
だから2人の寝る真上にいたモロは「妙な呻きをあげればすぐに噛み殺してやったものを」と言うし、アシタカは故郷を追放される時にカヤから受け取った黒曜石のナイフをサンに渡す。

なぜなら、エミシの村でアシタカとカヤは許嫁の関係だったからだ。
彼女がアシタカと共に村を出なかったのは、既にアシタカの子を身もごっていたからだろう。
そもそも『もののけ姫』のタイトルはプロデューサー鈴木敏夫によるもので、宮崎駿の原題は『アシタカせっき(伝説の意)』だった。
エミシの村にアシタカの伝説が残ったという意味。残ったというなら、残す人がいなければならない。

そしてカヤが渡したナイフは「あなたが好きだ」という証。
だからアシタカはサンとの別れにナイフを渡す。
こう考えないとアシタカの行動が意味不明になる。
そして受け取ったサンの「きれい……」という表情の意味も。
ちなみにカヤとサンは同じ声優が二役でやってる。あのジブリが経費節約でそんなことするはずがない。
つまり2人がアシタカにとって同じ大切な人ということを示唆している。
当然だが、一夫一妻などという近代的価値観をもって、室町以前と思われる本作での男女観を裁いてはいけない。

モロは明らかに人の手になる岩のお社を寝床にしていた。
つまりそれは、いつの日かまた人々が戻ってきてくれるかもしれない、と僅かな希望を抱いているからだ。
あれだけ人を憎みながらも、人に捨てられた哀れなサンを我が娘と育て、アシタカに「おまえにサンが救えるか!」(どうか救ってほしいという真意を隠した反語)と叫ぶモロの思いを想像すると泣けてくる。
(だからこそ、サンとの別れでモロは「お前にはあの若者と生きる道もあるのだが……」と呟いている)

昔は何とも思わなかったジコ坊のセリフ「天地の間にあるすべてのものを欲するは人の業というものだ」が、今になって胸に迫る。
エボシは優しい人だが、同時に乙事主たちの神殺しをやるにあたり、仲間や部下もろとも爆殺していく。
あまりに冷酷な判断だが、古今東西、指揮官とはこうしたもの。
私たちはそうやって大自然と戦ってきた先人たちの末裔でもある。

オワリ。
神秘の森は失われ、人が好む里山になってしまった。かつての古き神々は、もういない。

元ネタのひとつと思われるのが、人類史上ぶっちぎりの最古、今から約5000年前に作られた物語『深淵を覗き見た人』。
一般的には『ギルガメシュ叙事詩』とも呼ばれます。
なぜ5000年前かと言うと、残っているのが紀元前2000年頃に書記学校の生徒たちが書き写した石板だから。原典は紀元前3000年頃と推定されます。

<内容> 
ウルクの王ギルガメシュは、親友と共に人間の世界を広げるためにレバノン杉の原生林を伐る。
怒った半身半獣の森の神フンババは、凶暴な姿になってギルガメシュを襲うが、このときの人類最強の兵器、青銅の斧によって首を刈られてしまう。
神殺しの代償としてギルガメシュは親友を失い、死の世界へと旅立つ。
しかし何の成果も得られず、絶望の果てに故国に戻り、神を殺して人間だけの王国を作ろうとした己の傲慢さを恥じ、ギルガメシュは「自然破壊や生命操作は破滅の道だ」と遺言して果てる。