ファイルメーカーの思い出

FileMaker選手権 2020 エンジニアへのはじめの第1歩

https://news.mynavi.jp/lp/2020/business/enterprise/filemaker2020/

ファイルメーカーは古いMac者には馴染みのあるDBソフトで、この「ファイルメーカー選手権」というのはかれこれ20年くらい続いてるのではないかと思う。
幼少時より賞罰とは縁のない凡人の私だが、10年くらい前、これで賞(罰ではない)をもらった。

で、これは私にとって「有終の美」と言えるものでもあった。
まず私は2005年頃、ほぼファイルメーカーでメシを食った時期があった。
大学助手の賃金はまさに雀の涙で、私は当時趣味で触っていたファイルメーカーで何かできないかと考えた。

意を決して高価な開発者版を購入すると、作ったものをVectorという販売サイトで売ることにしたのだった。
作ったのはカレンダーと日記、住所録、TODO等が連動する統合型のPIMで、当時素人が作るものだと日記を書くたびに日付データが膨れ上がるのが普通だったところ、ちょっとしたアルゴリズムでうるう年などで狂わない日付計算をしつつ肥大化もしない軽い動作が特徴だった。

それなりの自信はあったものの、販売初日から「売れたよ」という通知メールが止まらないくらい入ってきたのは大変驚いた記憶がある。

また当時は「コンピュータ雑誌」がまだいっぱい本屋に並んでいる時代でもあった。
そういう雑誌には必ず「便利なシェアウェア紹介」というのがあり、ページを埋めたい各誌から掲載依頼が来て売上の一助となった。
(といってもそれでお金持ちになれるほどではなかったが)

大阪の某ソフトハウスさんに誘われ、何度か遊びに連れて行ってもらったりもした。
複数の企業さんから出納管理や文書データベースの依頼も舞い込み、せっせと作ったものである。

プログラム的な技術力皆無の私にお声がけがあったのは、要は「君はUIデザインのセンスがある」とのことだった。
単なる見た目の話ではなく、ユーザーの労力を最小化しつつ、どこで何をすべきかを明確にできるということらしかった。
(余談だが、めちゃ頑張って作ったのにギャラを踏み倒した会社がひとつある。それはT先生が紹介してきた唯一の案件であった)

その後、原稿仕事や学校講師をやるようになって時間がなくなり、気が付くとファイルメーカー社は「お手軽DB」から「ウェブ開発ツール」へと舵を切っていた。
バージョンアップが繰り返され、PHPなどを新たに勉強する余力のない私はついていけず、だんだん遠ざかったのであった。

そんなある日、ふと目にしたのが件のマイナビによる募集だったのである。
私の作ったものが通用するのは、きっとこれが最後のタイミングだろうと考え、自分の集大成と言えるものを作って送った。

やはりと言うべきか無事に受賞し、「うむ、これで良し」と得心し、販売を正式に閉じたのであった。