古墳のプロポーションについて

長男が小学校の授業でよくある「わがまち神戸」的な勉強をしたらしく、
垂水の五色塚古墳を所望されて見てきました。

五色塚は誰の古墳か知らない(というか謎だ)が、登って景色を眺めてみると、
対岸に淡路島を展望する明石海峡の最も狭い出っ張りの高台に位置し、
摂津と播磨を結ぶ山陽道の中でも陸海の交通を支配する上で特に要衝の地だったと解ります。

当時は海岸線が墳墓のそばまで迫り、
古墳の親玉といえる仁徳天皇陵こと大山古墳もまた、当時は海岸線のきわにありました。

共通点は、瀬戸内海を旅してやってくる客人に、その威容を見せつけること。
きっとこちらも相当な人物が眠っているのでしょう。

長男は古墳を実見して「鍵穴みたいだね」とのことでしたが、
円墳部を上にしてイメージする人は多いですね。

僕は逆で方墳部を上に見ます。
すると壺に見えます。つまり甕棺墓を巨大にしたのが日本の古墳であろう、と言うのが僕の見立てです。