真珠湾へ

真珠湾に行ってきた。

もちろん攻撃してきたわけでなく、見物に。
ハワイの市バスに初めて乗り、いろいろ文化というか考え方の違いに驚いた。

まず名前が「ザ・バス」。
会社名とか、公営だとしても「○○市バス」とか何か、ないんだなと。

また、
・停留所名がない。
・時刻表がない。
・路線図がない。
という状況であった。

乗ると、いきなり運転手に「Where are you going?」と聞かれる。まさかバスで行き先を聞かれるなんて思ってなかったから、「え、私ですか?」と自分を指さすと、ウンウンと頷いている。
で、「Arizona Memorial」と答えると、フーン、と言って何か紙をくれた。
トランスファーという乗り換え券らしい。

しかし路線図がないから、いつ着くのかさっぱりわからない。
唯一の手がかりは運転席近くの電光掲示のみ。
一応アナウンスもあるが、他の客がしゃべりまくっていて全然聞こえない。
聞こえたとしても、前の停留所のことを言ったりしている。

しょうがないので、ずっと前の方に立って掲示を睨んでいた。
30分が過ぎ、40分が過ぎ、そろそろ不安になった頃、到着。
運転手がちらっとこっちを見て、顎をしゃくってくれた。
あ、なるほど。ありがたいことである。

さっそく記念館に入ろうとすると、軍人に止められる。
「え、何」と驚くと、無言で看板を指さしている。

「No Bag」

私はウエストバッグを着けていた。
他にバスから降りてきた人もいたのだが、揃いも揃って手ぶらだった。
バッグを持ってるのは私しかいない。

「……どうすれば?」
無言のまま、駐車場を指さしている。
車に置いてこい、という意味だろうか。バスで来たんだけど。
後でカバンをもった家族連れが来たが、車で来ており、オーウソウデスカと車に置きに戻っている。

参ったなあ。

そう思いながら駐車場へ歩いていき途方に暮れると、視界の端に「Baggage Storage」のトラックが見えた。
あ、これのことか。
2ドル払ってバッグを預け、これで入れる。

フィルム上映があるらしく、みんなで並ぶが、大人しく並んでいるだけなのも癪なので、パネル展示の方を見て回る。
資料映像を、真ん前に立って腕組みして見ていると、白人たちがわらわらと寄ってきた。
日本海軍の攻撃で、無惨に破壊されてゆく米国太平洋艦隊。

白人の人々が、映像を見ながらチラチラとこちらを見ている。
フフ……なかなかの緊迫感だ。

最後まできっちり見終わると、シアターの入場が始まった。
内容は意外(?)にも、
「日本=悪辣で卑怯で狡猾で意地汚く、残虐で傲慢で怯懦で邪悪」
みたいなものでなく、むしろ、
「なぜ日米が激突せねばならなかったか」
「日本軍はなぜ真珠湾攻撃をせねばならなかったか」
に重点が置かれていた。

「アメリカが石油禁輸を行ったため、日本を追い込んでしまった」
とか、
「山本五十六は日米開戦否定論者だった」
とか、
「日本軍は軍事施設を爆撃し、我が軍が対空砲で応戦した。その薬莢が空から民間地域まで降り注ぎ、こちらまで空爆されていると勘違いした民間人もいた」
なんて話も出てくる。
大ざっぱだなと思うことも多いが、こういう律儀さもまたアメリカなのだなあと感じた。

続いて戦艦アリゾナの残骸に建てられた「アリゾナ・メモリアル」に移る。

突然閑話休題となるが、9.11テロの現場を最近「グラウンド・ゼロ」と言うそうだ。
国家にはキャラクターというものがある。つまり、どこをいじれば最も喜び、逆に最も嫌がるかという方法が国によって違う。

例えば、帝国時代の日本は、人命より資源の方が重要だった。
神風特攻は当時の思考法では当然の帰結であり、限られた資源を使い切る方法を合理的に考えた末の戦法だったのだろう。もちろんこれが良いということではない。むしろ、そんなことだから良くなかったと言いたい。

しかし当時も今もアメリカのキャラクターはそうでない。
資源も工業力も潤沢にあり、人命の方が優先順位が高い。
これはアメリカが自由で良い国だからではなく、単に物質は量が増えると価値が下がるというだけの話である。

第二次大戦当時、日本はいくら空爆による大量虐殺をされても降伏しなかった。
実は原爆をもってしても、さあどうだろう。
大日本帝国をして降伏を決断させたのは、ソ連の参戦だろうと思う。
逆に言えば、ソ連のおかげで一億総玉砕を免れたのかもしれない。
つまり、当時の日本は「国体破壊」を何よりも恐れた。


さて、メモリアルだ。死んだ軍人たちの名前があり、献花されている。
拝見して、記念館に戻った。

売店に行くと真珠湾関連のビデオが大量にあった。
当然あのハリウッド映画『パールハーバー』がある。日本の『トラ・トラ・トラ』もあるのには驚いた。
国旗のステッカーが売ってある。、そういえば貼って走っている車が結構あった。

出口で幾らか寄付をした。なんとなく日本人として、ここに来たからにはそれくらいしなければならない気にさせられた。

帰りのバスはさらに不安だった。
行きは40分くらいだったのに、帰りは1時間くらいかかったからだ。
まあ、外地というものは不安だから良いのかもしれない。

ちょっと暇だったので、そのままビーチへ歩いた。
ヒルトン・ハワイアン・ビレッジのロビーを突っ切り、そのままビーチへ。
暑かったのでShaved Ice(かき氷のこと)を買うと、馬鹿みたいに量が多い。
ハンドボールくらいのサイズがある。
こんなに食べれるわけないだろうが。風邪ひいたらどうする。そう思いながら食べてしまう。

ビーチ手前がいい感じの森になっていて、芝生に石のベンチがある。
木々の隙間からもの静かな光線が投げかけられている。
座って少し本を読み、書き物などする。

数時間して暗くなり、ホテルへ戻った。