最近観た映画
別に最新作じゃないです。
「ジュリーとジュリア」
実話がベースだそうです。往年の実在した料理研究家ジュリア・チャイルドと、そのレシピを1年で達成してそれをブログにアップしまくるジュリーの物語。
メリル・ストリープってこんなに大柄だっけ?と、ものすごく不思議だったが、彼女が扮するジュリア・チャイルドが大柄だったということらしい。
料理に関する描写と、ジュリアの年代記は面白かったが、物語全体としては「?」。
要はジュリーのパートがいまいちしまらない。
日常の実話を元にした映画というのは、大体中途半端なストーリーに終わるイメージがある。
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
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「96時間」
フランスに遊びに行った娘が悪いやつらに誘拐され、96時間以内に助けないとヤク漬けにされた上に人身売買(お金持ちがオークションで若い女を買っていく)へ!
しかしパパの正体は元CIAの凄腕スパイ。即座にアメリカから飛び、わずかな手がかりから犯人を割り出し、アクションに次ぐアクションで娘を救出する!
すっきりコンパクトに盛り上がって、面白かった。
ただひとつだけ、パパが捕まって絶対絶命の危機に陥るんだが、そこから脱出する描写が往年の「カトちゃんケンちゃん」のコントみたいになってた。
天井からタライが落ちてくるレベルの展開。
「グラン・トリノ」
イーストウッド曰く「俳優としては最後の映画」。
移民だらけになったさびれた下町で、ひとり「古きアメリカ人」を貫く主人公。対して離れて住んでいる息子夫婦たちは「現代のアメリカ人」であり、価値観は相容れない。そんな主人公が隣にやってきたベトナム人家族の少年と出会い、「男の生き方」を伝えるとでもいおうか。
割と静かな映画なんだけど、なぜか眠くならない。喜怒哀楽の波が的確だからなんだと思う。イーストウッドが怒って戸棚を破壊するシーンだけは、ちょっとアレだったけど。
でも、あのイーストウッドが胸ポケットに右手を突っ込んで(ここは「主人公が」ではなく「イーストウッドが」というのが重要)、それでいてああなるという終盤が、「あ、本当に俳優としては最後と決めたんだな」と感じさせられた。
タオ少年を散髪屋に連れていくあたりから盛り上がってきて、ラストの教会で神父が「童貞野郎と言われて……」とか言いだして、ひとりだけニヤニヤ笑ってる「イタ公」を見たあたりからエンドロール終わるまで号泣。なぜこんなに泣けるのかわからない。あのシーンを思い出しただけで泣けるくらいなのだが、やっぱり原因がよく自分でもつかめない。
で、考えてみたんだが、私という人間は「男」という定義や理想に、何か憧れや願望があるのかもしれない。大切なものを守れる力とか、ここ一番というところで勝負に出る勇気とか、公というものを大切にしつつ真正面からはとらえず照れてみせる価値観とか。
「ディア・ドクター」
医者(笑福亭鶴瓶)がひとりしかいない田舎の村に、医学部出たての研修生(瑛太)がやってくるっていう話。看護師と薬屋と、八千草さんの存在が良かった(というか救われた)。
「ブラックジャック」で同じような話があったなーって思いながら観た(この映画と同じような感じの医者に、ふらりとやってきたBJが出会う。BJ、その医者を助ける)。
別にこの映画を卑下するわけじゃないけど、ラストの展開はBJの方が良かったと思うんだけど、現実的には無理だろうからやっぱりこの映画みたいになるのかな。
バンダイビジュアル
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