『夢と狂気の王国』を観てきた感想
16日はシネマズミントのサービスデー(1,000円)。
というわけで観てきました。『風立ちぬ』の制作に追われるスタジオジブリをとらえたドキュメンタリー。
僕は宮崎駿の声が大好きです。俳優・声優でそういう人っていないですけど、宮崎駿の喉に何かからんだ低い声は、ずっと聞いてて飽きない。
で、この作品は全編、宮崎駿がぶつぶつつぶやきます。たまりません。
以下、観てきたばかりの感想書きます。長いです。
宮崎駿は脚本を書かない。
いきなり絵コンテを切って作品を作ってしまう。そしてできた絵コンテは作画に移ってしまうから、全員が制作作業に入っているというのに、宮崎駿本人を含めて誰もその結末がわからない。
彼のおそろしいところは、そんな状況にありながら、ついに72才になっても出す作品の全てが何十億円という大ヒットになること。
高齢の現役監督はいくらでもいるが、最新のものが常に売れているなんて空前絶後。こんな天才のそばにいられるなら、たとえつぶされるだけだと判っていても全てを投げ出して着いてくる者はいくらでもいるだろう。
そしてこれは彼自身に課せられた呪いでもある。
だから、自分がもうすぐ本当の限界に達すると自覚した宮崎駿は「もうやめた。俺は自分のやりたいことだけをしたい」と引退宣言をした。
宮崎駿は『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎の声に、庵野秀明を起用した。
本作の中で宮崎駿は、庵野がいるシーンはすべて上機嫌に映っている。
ゼロ戦の模型を片手にインメルマンターンについて話す姿は「友達」に対するそれだった。
島本和彦の『アオイホノオ』を読めばわかるが、庵野秀明は怪物。才能のかたまりである。だから宮崎駿は、大阪から上京してきた初対面で未経験の23才の男に、『風の谷のナウシカ』で最重要のハイライトとなる巨神兵のシーンをまかせた。冷静に考えればありえない決断。
また宮崎駿は庵野の『新世紀エヴァンゲリオン』について、本人を前に「自分の中に何もない、カラッポだってことを証明してみせたな」と笑った。
これを、「庵野をディスっている」と勘違いする人もいるが、そうではない。宮崎駿は常々「自分は、何もわかっていない」と各所で述べてきた。つまりこれは「ついにおまえも俺のステージに登ろうとしているな」という歪んだ賞賛の言葉なのだ。その証拠に彼は、息子の宮崎吾朗に対してそういうことを笑顔で言ったりしない。
宮崎吾朗といえば、本作でわずかに登場してなかなか重い言葉を吐いていた。
「自分は間違ってジブリに来てしまった。アニメが作りたいという純粋な気持ちでここに来たわけじゃない」と。
『ゲド戦記』の制作において、宮崎吾朗にあった才能はひとつしかなかった。それは「宮崎駿につぶされない」ということ。何を言われても、どれだけ罵倒されても息子だから「うるさい!」と真正面から口答えできる。それが彼の「才能」だった。そして『コクリコ坂にて』で、飛び抜けてはいないが順当な成長は見せた。
しかし彼の中にあるのは「すごいものを世に見せつけたい」というクリエーターのエゴではなく、「このスタジオジブリにいる人々のために」という優しさが多くを占めている。
宮崎駿はスタジオジブリについて「いずれ廃れる。やっていけなくなる。それは仕方がない」と述べている。
おそらく彼の中には「どうせ、俺がいなくちゃダメなんだろ?」という気持ちがあるんだと思う。400人ものスタッフがどれだけ頑張っているとしても、しょせんは彼の才能あってのこと。
後継者が育っていないことは、『借りぐらしのアリエッティ』で明らかだ。並のスタジオなら作画監督ができるレベルのスタッフが、ヒラのアニメーターをやってるのがジブリだ。だから絵のクオリティは高い。しかし物語をつむぐ力が全くできていない。だからプロデューサーの鈴木敏夫は、『ゲド戦記』で吾郎さんを引きずり出すしかなかった。
そうした状況の中で、宮崎駿は72才になるまで周囲の期待に応え続けてきた。でももう、それが限界に来ている。そしてそれはプロデューサーの鈴木敏夫もよく判っている。
だからこそ、『風立ちぬ』の封切りに合わせて引退会見を行うというマーケティングを行った。あんなものは宮崎駿ひとりでセッティングできるものではない。
さらに言えば、庵野秀明の声優起用も冷静な計算があるのだと思う。
作中、『かぐや姫の物語』プロデューサーである「西村さん」が、鈴木敏夫について「あの人は全てに気配りができる人」と言っている。
どの場所で、どの打ち合わせにどの人間が並ぶのがベストか、ということを全て計算して組み立てるのだと。
宮崎駿はおそらくまだ、アニメーター、映画監督、さらにはスタジオ経営者としての庵野秀明と机を並べて仕事ができるほどの寛容さは持ち合わせていない。
でもそれ以外のことなら仲良くできるし、また彼が仲良くしたいという気持ちを秘めていることも知っている。自分と同じように輝く才能を持ち、「スタジオカラー」の経営者としてスタッフを抱える苦しみの中にいる後輩。自分と同じ苦しみも喜びもわかりあえる同志としての庵野秀明を求めているはずだと。
その意味で声優というのは絶妙だった。
台詞を話す以上、作品内容に少しは口出ししても不自然ではないし、かといってクリエーターのプライドがぶつかりあうこともない。
だから宮崎駿と庵野秀明が同席しているシーンは、まるで二人が親子のように見える。息子が来てくれて上機嫌の老いた父親。しょうがねえなと無愛想ながらも相手をしてやる息子。
しかし本当の息子は、同じスタジオジブリの中にいるのだ。
おそらく吾郎さんはめちゃくちゃもがき苦しんでると思う。かわいそうだと思う。それがわかるいいシーンだった。
あの苦しみがあれば、吾郎さんは「ものになる」のかもしれない。
それまでは、きっと庵野秀明が『風の谷のナウシカ外伝』を作ってひっぱってくれるだろう。そして宮崎駿はそれを苦虫を噛みつぶしたような顔をして眺め、「俺が若ければなあ」と愚痴るのだろう。
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