インドネシアで人類最古(4万4000年前)の洞窟壁画発見

インドネシアで人類最古(4万4000年前)の洞窟壁画発見

4万4000年前の洞窟壁画を発見、人類史上最古か インドネシア(CNN)

https://www.cnn.co.jp/fringe/35146781.html?ref=fb&fbclid=IwAR3QR8KvfYVYRf24kJ_xXDMMXc-FjXKnXCVGZzn8HIiwv-8p7cOnUOreQsk

「えっ、東南アジアの島で? だったら船で渡ったんだろうから、絵を描いたのはもっと古いのでは?」と思う人もいるかもしれない。

そうではない。
この記事には書いてないが、4万4000年前ということは地球が最終氷期(ヴュルム氷期・およそ11万年前〜1万年前)のまっただ中である。
氷河期に何が起こるかといえば、海水が大規模に凍って陸地に固定されてしまい海面が大きく下がる。なんと100メートルくらいは下がった。
 
現在の浅い海は干上がって地面が露出する。また地球の北と南が巨大なクーラーとなるので、赤道付近がいい感じの気候になるのだ。
当然日本海なんてあるわけない。北アメリカとシベリアは接続。東南アジアもインドシナ半島からインドネシアの各島が全てつながった巨大な陸地となった。
つまり歩いていけたのだ。
それでヒトはええ感じの洞窟を見つけたのだ。

ただしここで想像力を働かせないといけないが、洞窟の奥なんて真っ暗である。
へたに火を焚いたら窒息しかねない。だから洞窟に住む場合、人は奥じゃなくて出口付近のみを使う。
では、スラウェシ島の洞窟壁画が深さどれくらいの地点で描かれていたのか、非常に興味深いところだ。
これは、おそらく深いと思う。

「たった今、深い所には行かないって書いたところだろうが!?」
と思うだろうが、落ち着いていただきたい。
問題はなぜ壁画を描いたのか、である。
フランスのラスコー洞窟が良い例だが、こういうものは何か宗教的な思考・物語性が予想されるものだ。現代の我々のように簡単に道具が揃い、手軽に描けるのとは訳が違うのだ。

壁画について最も感銘を受ける点として、現代人の認識や知覚に関連したあらゆる主要な要素がすでに盛り込まれていることを挙げる。象徴的な芸術表現、物語性、宗教的思考といった概念が壁画の中に見て取れるとしている。

CNNの同記事より

となると、これは「聖地」だったのだ。
後に人類が聖堂を建て、大伽藍を建てたように、自分たちにとってよりどころとなる場所に絵を描くことで聖化したのだ。

さてその後、地球はだんだん温暖になって人類はせっせと狩猟に励むわけだが、「寒の戻り」(ヤンガードリアス期)が始まって人類は「木の実を拾ってる場合じゃない!」と気づいて農耕を開始するのである。
これについては、日本の新書オールタイムベストを決めればおそらくトップ10に入るであろう名著『栽培植物の農耕と起源』(中尾佐助)を読もう!
 
人類の文化はイモ・豆・雑穀といった保存の利く栽培植物と共に伝播した。
現在とは異なる地形を、人類は縦横無尽に大移動した。
そして辿り着いた地で栽培植物を改良した。これこそが「文化」の起源である!

かつて白洲次郎が奥さんの正子とケンカすると「サツマイモばっかり食いやがって(白洲正子は鹿児島出身)」と罵ったというが(笑)、このサツマイモはどこから来たかというと、メキシコ〜エクアドル辺りに自生したものが祖先種なのである。

サツマイモの伝播と品種改良

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1915/78/11/78_11_843/_pdf

南米に生えていたイモが人類の手で偉大な旅を行い、いつしか極東の列島の最南端で食われ、夫婦喧嘩のダシにまでなるのだ。なんという壮大なロマンだろうか!(笑)