私たちの敗北、あるいは男の器について
「器の大きい男がいい」という物言いがある。
器とは何か、と言われると難しい。
寛容なこと? 聡明なこと? それとも豪快なこと?
しかし少なくとも、「これは器が小さい」ということならある。
とある店で読書していた。時刻は19:30。
すぐ近くの2人席で、20代後半くらいの男性が大声で怒鳴っている。
向かいに座ったもうひとりの男性は、それを神妙に聞いている。
ふたりとも、なぜかペアルックのような格好をしていた。
黒のジーンズに、赤い長袖のシャツ。傍らにギターケース。
バンドやってる人か。
「もっと要点を絞れ、て言うとるやろ」
「(小声で)……はい」
「ハイじゃわからん。何を悪いと思うとんのや」
関西弁とは微妙にイントネーションが違う。たぶん四国のどこかの人だ。
「結局どう思うとんのや」
「(すごく小声で)……すいません」
「すいません、やあるか!」(ドン、とテーブルを叩く)
「……」
「何を謝っとるんや。何を悪いと思うて謝っとるんや」
「……いや、あの……」
怒っている方は、開脚180度近いガニマタで座っている。髪はボサボサ。
対して怒られてる方はサラサラストレートの坊ちゃん風。足をきっちり揃えて座っている。
それにしても、何をそんなに怒っているのだろうか。
私も含めて、周囲の者はみな、気にしない顔をして思いっきり気にして、ちらちら見ていた。
「ハッ、おまえにはほんと呆れるわ」
「……あの」
「何や。はよ言わんか」
「……あの……あの……悪かったって思ってます」
「何を」
「……えっ」
「何を悪かったて、思うとるんや。その要点を話せて言うとんのや」
文字で書くとこうだが、実際はすさまじい速度で追いつめてるので、怒られている方はほとんど答えるすきがない。
会話にあまり進展はないので、ふっと意識が読書の方へ移った。
1時間経過。20:30。
「はよ話せ。何が悪かったんや」
まだ怒っていた。
1時間たったんだが。
あまりに一本調子に怒るので、逆に無言になると気になる。
つまり、急に無言になった。
ちらっと見ると、怒っている方がうつむいていた。
(どうした?)と思うと、彼は紙ナプキンで丁寧にCDケースを磨いていた。
ふたりのテーブルの中央には、CDが20枚くらいつんであった。
一枚づつ、角も丁寧にふいている。
別に何か濡れたとか汚れたとか、そういう感じではない。
カーマニアが駐車場で、とっくにピカピカの車をまだ磨いてるような感じだ。
私は読書を終えてしまった。
こんなに長居するつもりでもなかった。
だが帰れない。
怒りの原因が知りたい。
ここまで凄まじい怒りを持続できる原因とは、一体何なのか。
「俺が知りたいのはさっきみたいなんじゃないんや」
「……はい」
「要点や。要点を絞れ」
「……」
「結局どう思うとんのや」
「……すいません」
「すいません、やあるか!」(ドン、とテーブルを叩く)
「……」
「何を謝っとるんや。何を悪いと思うて謝っとるんや」
「……いや、あの……」
CDを磨きおえ、怒号が再開された。
さっきと同じ会話がループしている。
21:00。山が動く。
21:00。
「おまえ、全然成長がないよな。大したもんだよ」
「……」
えんえんと続く堂々めぐり。
怒られている方の青年は、じっと足を揃えて怒られている。
ほんと、何があったんだろう?
ついに、21:30。山が動いた。
「なんで忘れたんや」
おおっ。2時間を超え、ついに、やっと、怒りの原因に結びつきそうな言葉が出てきた。
「……いや、あの……」
「何で忘れた。その理由や。その理由を知りたいんや」
「……」
こういうのも何だが、忘れる理由がわかってたら「忘れない」。
忘れたから忘れた。それ以外にないのではないか。
「……悪かったって、思ってます……」
「だから(ドン)! 結局どう思うとん(以下略)」
しばしのループ後。
「もうおまえとはやっとれんわ」
「……」
「無駄やったよ。無駄。練習してきた時間、返せや」
「……」
だいぶ手がかりが出てきた。
勝手に想像する。
怒ってる方はギターだ。怒られてる方はケースが長いので、きっとベースだろう。
たぶんこのふたりは、徳島あたりから、今日こっちでライブでもやろうとやってきたのではないか。
オーディションを受けるとか。
練習して、船賃ためて、勇んでやってきたのではないか。
ところが、片方が重要な何かを忘れてきたのではないか。
楽器はある。楽譜は練習してるなら、あってもなくてもいいだろう。
21:45。アイコンタクト。
「だから(ドン)! 結局どう思うとん(以下同じ)」
まだやってる。もう疲れた。限界。
全身の骨が痛くなってきたので、伸ばしがてらトイレに行ってみる。
席に戻る時、さりげなくふたりを見る。
すると、その奥にいた女性ふたりと目が合った。
彼女たちも、およそ2時間は席を動いていなかった。
その彼女たちが、そろってこっちを見た。
「あ、おたくも?」
言葉はいらない。
微妙なアイコンタクトを終え、再び席についた。
22:00。驚愕の告白。
「……あの」
「何や」
「……実は、その……」
「何や」
「……実は、ウソついてました」
「ウソ? 何のウソや」
「……やる気あるって、ウソついてました……」
ガガーン!
これは驚愕の告白である!
私も、奥の女性らも、吃驚して目を見開いた。
何があったのかは、ついにわからないままだ。
だが、決定的な台詞が放たれてしまった。
「実は、やる気がなかった」
もう終わりではないか。
「実はあなたのこと、好きじゃなかった」
これと同じだ。どんな恋人同士も、この台詞の前には崩壊せざるをえない。
彼は、怒りすぎた。パートナーを追いつめすぎたのだ。
私は、この悲しい物語の結末を見届けようと思った。彼女たちも同じだろう。
「何?」
「……実は、やる気なかったんです。でも……」
「何でや」
「……はい?」
「何で、やる気なかったんや」
私はガクッときた。
ここで店内に「蛍の光」が流れる。
そして閉店へ……。
閉店の時間なのである。
彼らは荷物をまとめ、店を出た。
帰り、駅のロビーに立つふたりを見た。彼はまだ怒っていた。
歩いて側を通ると、
「……あの、これからも頑張りたいと思ってるんです」
と怒られてた人が言っていた。
たぶん、そういうふたりなのである。
私は少し敗北感を感じながら、帰宅の途についた。
何の話だったんだろう?
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