明治30年の神戸

明治30年の神戸

先日蔵書の整理をしいて、大学生の頃に集めた古地図がどっさり出てきた。
こんなのあったなあ、という感慨にふけりつつ、そのうちのひとつをご紹介する。

以下は「明治三十年 神戸市図(図は旧字体)」というもので、

  • 明治30(西暦1897)年3月25日印刷、定価10銭
  • 著者は「大阪府平民」奥川寅之助氏、大阪西成郡の方です。
  • 発行者は神戸市多聞の岩本郁文堂、代表は「兵庫県平民」山川鶴吉氏、神戸市元町の方。

  

この地図の中から、現在の三ノ宮駅周辺を拡大(角度は上が北になるよう修正)。

これじゃよくわからないので、最近の地図を。

まだよくわからない人のために。

1:生田神社
2:兵庫県庁
3:庭園(現在の東遊園地公園?)

1868年に外国人居留遊園の名称で開園した日本で最初の西洋式公園である。開園当時は外国人専用であった。公園内には、ボウリング発祥の地の碑・近代洋服発祥地の碑などの各種の記念碑がある。また、慰霊と復興のモニュメント・1.17希望の灯りといった阪神・淡路大震災関連のモニュメントも、公園内にある。毎年1月17日におこなわれる阪神・淡路大震災の追悼行事では、主要会場のひとつとなっている。また、毎年12月におこなわれる光の祭典「神戸ルミナリエ」では、東遊園地のグラウンドが終端の会場となっている。なお東遊園地の「遊園地」の名称だが、今日の日本語での一般的な遊園地の意味とは異なり、「公園」と同義で使われている。この公園の名称については当初より「内外人公園」など様々な呼び方がされていたが、1922年に「東遊園地」と呼ばれるようになった。旧居留地の東に位置することが名称の由来となっている。

Wikipedia

とあるので、おそらく3は東遊園地公園だろう。
それにしても驚くのは、海岸線が全く違うことだ。
もともと山と海にはさまれ、東西に細長かった(現在もそうだが)神戸市が、山の土を削って造成しては、それを海に持ってって埋め立ててきたわけだ。

それらがポートアイランド、六甲アイランド、神戸空港として誕生した。
阪神高速3号神戸線(緑の太い道路)あたりに沿って、北東のHATゆめ公園のあたりまでぐいっと削り取ると、かつての海岸線になるのではないかと思う。