「ナウシカ」解釈:宮崎駿作品を通じて

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1/13の金曜ロードショーは、もう何度目なのか判らない『風の谷のナウシカ』でした。

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映画版はコミックス全7巻のうち、2巻中盤くらいまでを無理矢理まとめてあります。
 
どんな作家も、言いたいテーマを複数もつ人は少なく、大抵は1つの同じテーマを、手を変え品を変えて表現する。
初期の宮崎駿は言いたいことと骨組みが一致して明快だった。
それは「高みに登るためには、人は一度落ちなければならない」ということ。
主人公は常に下界の「穢れ」に落ちる。しかし真の清浄さは穢れの中にある。そこで主人公は世界の秘密を解いたり成長したりして「上昇」していく。各作品、以下の通り。
 
未来少年コナン……インダストリアの最下層から、最上層へ。
カリオストロの城……地下牢に落ち、最上階のクラリスへ。
風の谷のナウシカ……腐海の底から、王蟲の頂へ。
天空の城ラピュタ……地底の炭鉱から、天空の龍の巣へ。
となりのトトロ……森に落ちて出会い、空を駆け巡る。
魔女の宅急便……魔力を失って森をさまよい、飛行船の少年のもとへ。
 
映画版ナウシカは「姫さまが青き衣の伝説と一致した!」というだけで、何も解決していない。
なぜなら映画制作時、原作コミックスがまだ途中で、宮崎駿本人が物語の結論を出せていなかったからだ。
原作を完結させ、結論を導き出した宮崎駿は、ナウシカを中世日本に置き換えてリブートする。
 
それが『もののけ姫』。
 
主人公(ナウシカ/アシタカ)はいずれも、自然(王蟲/サン)と科学(クシャナ/エボシ御前)の仲介者である。
原作版ナウシカの出した結論は「命には光と影がある。両方あってこその命」だった。
だから、『もののけ姫』の主人公アシタカは、物語のラストで「共に生きよう」と言う。
ということです。