甲南大学
午後は甲南大学。
上村くにこ先生主宰のICI(想像文化研究会)による「死生学」勉強会にお招きをいただきました。
どうぞと出されたお菓子のチョイスが非常に良かったです(笑)
終末期、つまり好転が見込めず、何かしら装置を外せば数日以内に死ぬと予想される状況を迎えたときに、私たちは延命治療を望むだろうか?という問題についてのディスカッション。
現在は、本人が「事前指示書」を作ることで法的拘束力はないにせよ、その意思を尊重して延命しない(もしくは死期が早まると解っていても痛みをとりのぞく緩和措置をとる)かどうかを家族が決める……という流れになってきています。
参加者の意見では、意識不明になったのが自分であれば、ほとんどの方が「延命拒否」でした。
しかし自分が残される側で、家族が何の意思表示もしないまま意識不明になってしまったらどうするか?
たとえば心筋梗塞や交通事故で救急に運ばれました。脳が不可逆的ダメージを受けていて、意識が戻ることはありません。
親族であるあなたはそこへ駆けつけました。救急医療の人から説明を受けます。
「人工呼吸器を挿管すれば生命は維持できます。しかし挿管すればずっとそのままです。延命されますか。10分だけお待ちします」
家族はその場で決断しなければなりません。
意識の戻らない家族とこれから何年も関わり続けるのか。自分がその立場なら家族に迷惑をかけたくない。でもこの人を死なせてくださいなんて決められない。決められないけど、寝たきりの状態ができあがってしまえば「じゃあそろそろ」なんて決断、余計にできるわけがない——。
さて、この問題にバシッと一本筋の解決策なんて出ません。
ただ、考えるべきなのは「生かすか殺すか」ではなく、その人の人生の集大成をいかにサポートするか。
「延命することが本人らしいか、それとも延命しないことが本人らしいか」を基準に決断するしかない、というのが概ねの結論でした。