福山市立大学と福山城(数学など)
今日は広島、福山市立大学。まずは「数学教育における数理認識」についてヒアリング。
ウチの子が今、公文で分数計算まで進んでるんですけど、そっちはバリバリ解けるのに、不意に平易な足し算が分からなくなったりして、頭の中でどういう理解になってるのかとても不思議だったんですが、ちょっと謎が解けた気がします。
来てよかった。
学食は普通。悪くない。
面白いのは、帰りの福山駅だった。
福山城が駅の真横。こんなに迫ってるのは珍しい。
また案外知られていないのは、福山城はほぼ江戸城のミニチュアコピーであることだ。
以下、記憶を辿って書く。
福山城を築いたのは「鬼日向」こと水野勝成。
彼は徳川家康の母方の親族で、広島城改修問題によって津軽に飛ばされた福島正則の領地を奪う形で大和郡山からこの地へやってきた。しかし当時の福山は狭い沼地、半島であり、福島家の城も内陸の神辺にあった。
しかし水野は、徳川家の江戸開拓とその後の発展を見て、水運に優れた土地造成が莫大な富を産むことを知っていた。
そこで風水の観点からも四神相応するこの地に新たな城を定め、また若い頃には各地を放浪して庶民の心も知っていたことから、自ら土地改良して入植する民は無税とした。おかげで猛烈なスピードで城下町が建設される。
また築城にあたっては、おそらく徳川の肝いりもあって江戸城建設チームが投入された。
というわけで水野は見事福山開発に成功し、以後池田家や浅野家などへの睨みを効かせることになる。
さらにすごいのは、城の北側が実は軍事的に「丸裸」なことだ。防衛線っぽく取り繕ってあるが、ほとんど意味がない。
つまり水野はその後の元和偃武を見越し、領主の居城に軍事的意味などなくて良いと見抜いていたのだろう。
というわけで現代の目から見てもベストな位置に城があったわけで、このように線路が迫っているという次第である。以上。
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