どん引きされても面倒くさいってあるね

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たまに、自分でも「それは面白くないだろう」と、引いてしまうような冗談が口をついて出るってありませんか。
私の場合はですね、別にのろけるわけじゃないんだが、嫁のつくるごはんが大層好きなわけですよ。
だから喧嘩してもこっちの立場はめちゃくちゃ弱い。
だってごはん作ってくれなくなるからね。
遠出したりして帰りが夜遅くなるときなんて、「家に帰ればごはんがある!」という一心で飲食店を素通りしていくわけです。
そういう状態だから、私は常々、嫁には「おまえが死んだら、俺は満タンの冷蔵庫の前で餓死する」と言ってます。
「もし死ぬんなら、俺が死んだ翌日に死んでくれ」と。
いや、だめだな。お葬式の手配とかあるから、1週間後だな。みたいなことを冗談で言ってたことがありました。どうでもいい話ですが。
で、数年前の話なんだが、人と話してた時にふっとそれを言っちゃったんですよ。
しかも文脈がめちゃくちゃな状態で。
つまり「嫁に言ってあるんですよ、『自分が死んだ翌日に死んでね』って」。
自分で言ってて、あれおかしいな、ちょっと違うんじゃないそれ、自分が本来言ってたこと、言いたかったこととずいぶん離れてる気がするぞと思ったんですが、言ってしまったものはしょうがない。
しかも相手は明らかにドン引きしている。そりゃそうだろう。こっちだって引くわい。
ところが、「元々はアホなのろけ話じゃないか。訂正するってことはそこから説明すんのか」みたいに思うと猛烈に面倒くさくなってしまい、どうでもいいやと思って訂正しませんでした。
たぶん裏で笑われてるでしょう。
ちょっとあれは怖い人だよ、きもちわるいねって。
それから何年かたちますが、話した相手とは再会してません。ですから訂正するようなチャンスもなかった。
これが十代のころだったら、悔恨の大津波にさらわれてしまって、うわああああって頭抱えて「もうやだ、よーしいっちょ死んでやるか」みたいに思ってたのかもしれない。
でも今くらいの年になると、もううわああああって頭抱えるような恥ずかしい記憶が多すぎて、今さら死ぬに死ねない。
たぶん世の中には「このハードディスクを破壊しないことには、死ぬわけにはいかんぞ」みたいな人もたくさんいるでしょう。恥がつまりすぎてて。
あの日記を読まれるくらいなら、生きてた方がましだとか。
だから生きてりゃいいことあるよなんていうのも、単に死ぬとすごく悪いことがあるっていう意味かもしれない。
でもそれでいいじゃない。
年とるっていいもんですね。


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毎日これだけやって生きていたい。
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