日本の大学制度改革

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現在制作中のエルドリッヂ(Robert Eldridge)さんの本。昨日、原稿の前半部分を編集・構成したものを送付。
現在、日本の大学の多くが採用しているセメスター制度(前期・後期の2学期制)を全く新しい「日本型のクォーター制度(3ヶ月ごとの4学期制)」にすることが日本の社会構造を変え、低迷する日本を再び世界のトップによみがえらせることにつながる、という内容です。
 
正直なところ最初(第1稿を読ませてもらったのは2018年の秋)は「確かにインパクトはあるけど、日本を大変革させるほどのものか?」と思っていました。
しかし原稿を読むうち、背景にある大きな構想が理解できてきました。
 
遙か昔、僕が会社員だったころ月に一度「QC」という行事があり、業務改善案を提出させられました。
みんなで無理くりに「何かないか?」と探し回り、期限までにどうにか体裁を整えるわけです。
しかしそれは各員が自分の周囲1メートルくらいで考える(その方がめんどくさくないし)ことですから、小手先どころか小指の先くらいのアイデアが並び、その報告書を見て上司は「よし」といえ言う。

結局、クソ忙しい中でみんなが業務を放棄して会議を開き、ほとんど意味のない「ゴミ箱を捨てやすい場所に移動させよう」みたいなアホな改善案を取り繕う時間を費やすことになり、会社は残業代を払う羽目になるし、従業員は「この会社アホちゃうか」と士気を下げるという、全員が損失を負う結果でしかありませんでした。
 
この話は日本人という大きなくくりで適用できる話じゃないでしょうが、実際問題、私たちは改善・改革をしようというと「具体的に何から始める?」と考えるんじゃないかと思います。
しかし本当に改革が必要な時というのは、全体が行き詰まっているわけです。

だったら、会社のトップが全体を俯瞰してゴールとロードマップを示さないといけない。その旗印のもと、各所はどこに注力して今ある資産を割り振るかのプロジェクトを立て、各員が適性に従って作戦を実行するべきなんでしょう。
でもこの方法は「先送り」が使えません。「前例がない」という壁にも必ずぶち当たります。結果、小手先の改革が繰り返されるわけです。
本書ではそれを「沈没を前にしたタイタニック号で、必死になってデッキチェアを再配置している」とたとえます。なるほど。
 
で、今回の本です。
エルドリッヂさんが示すゴールは「日本を、世界を啓蒙するリーダーとして再生させる」こと。
そうなるには、少子化・超高齢化という双子の問題、そして東京への人口過剰集中という大問題を抱える日本を、若者も、高齢者も、男性も、女性も、健常者も、いわゆる障がい者も、日本人も、日本に住む外国人も、日本全国あらゆる人が潜在能力を解き放てる社会にすること。
そうなるには、地方から若い頭脳が流出するのを防ぎ、全国で経済がダイナミックに回る状態を生み出すこと。
さらにそのアイデアは22世紀以降の日本にも通用するものであること。

そして最大のキモは、それがふわふわした「そうあるべき」という理想論ではなく、全員を否応なくその方向へ走らせるものであること。
 
これらの「大戦略」を戦術レベルまで落とし込んだ結果、たどりついた処方箋が「大学制度を再編成する」だったというわけです。
なんでそうなる?と思うかもしれません。
でも読めば、「そういうことか!!!」と納得できます。