ジョブスの祝辞

ジョブスの祝辞

中学・高校での講義で、現のCEO、スティーブ・ジョブス(Steve Jobs)のスピーチ映像を使いました。
2005年のスタンフォード大学卒業式で行われたものです。

ジョブスは現在アップルとピクサーのCEOとして有名です。
20才台前半でスティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniac)と2人でApple Computerを起業。
あっというまに急成長して数千億円企業となります。
しかし自らヘッドハンティングした、ペプシコーラの元社長ジョン・スカリーと対立して失脚。
自ら興したはずのアップルから追放されました。

ジョブスは新しくNeXTという会社を設立し、「NeXT Cube」を作りあげました(ジョブスはこの形が好きなんでしょう。執念は後のG4 Cubeに再現されます)。

NeXTのOSには、当時としては最高峰の技術が投じられました。
コスト度外視で先進的なコンピューターを開発するんですが普及せず、途中からNeXTSTEPやWebObjectsといったソフトウェアの専業に移りますが、じり貧になってきます。

その頃、古巣のアップルはどうなっていたか。
ハードウェアラインナップの乱発、OS開発の対重なる失敗(その中にはIntel版MacOSもありました)などによって倒産の危機に瀕していました。
そこで招聘されたのが、ナショナル・セミコンダクター社を再建したプロフェッショナル、ギルバート・アメリオ(Gilbert Amelio)でした。

アメリオはOSの自社開発を捨て、ジョブスのNeXTSTEPか、同じくアップルからスピンアウトしたジャン・ルイ・ガセー(Be)のBe OS、もしくはマイクロソフトのWindowsNT、はたまたサンのSolarisのどれかを次世代MacOSとして採用しようとした結果、NeXTを選びます。

かくしてもう一度クパチーノに復帰したジョブスは、アメリオの後釜に座ることに成功、取締役会を一新してアメリオが整備しつつあった再建策を継承、さらにライセンス更新を拒否して互換機をつぶします。

すぐに「Think Different.」キャンペーンを行い、アップルが生まれ変わろうとしているイメージを流布しました。
デザイナーとしてジョナサン・アイブ(Jonathan Ive)を重用、当時は常識だったフロッピードライブを搭載せず、周辺機器用に普及しはじめたばかりのUSB端子のみ備えた、一体型のiMacを開発します。

かつて始めてMacintoshを発表したとき、ジョブスはパソコンに「Hello」と合成音声であいさつさせました。
そしてiMacで「Hello (again)」。
アップルはiMacの大成功で息を吹き返します。

またハードウェアラインを整理し、
Pro / Consumer / Desktop / Notebook
の4つのマトリクスにまとめます。つまり、
・ PowerMac(Pro-Desktop)
・ PowerBook(Pro- Notebook)
・ iMac(Consumer-Desktop)
・ iBook(Consumer-Notebook)
です。

これでシンプルになったラインを補うのが、パワーコンピューティングPowerComputing社を買収してのBTO(Built To Order)でした。
この前後には、小売店との関係を破棄し、これまでアップルに忠誠を誓ってきた多くの販売店を切り捨てています。

ハードウェアは次々にデザインを更新させ、ユーザーに先進的なイメージを植え付けました。
その後になるとG4 CubeやMac mini、eMacといったマトリクスから外れる商品を開発しますが、当時は開発リソースを集中し、マーケティング政策を明確にし、流通コストを下げ、既存のユーザーをなんとしても引き留める必要があったのでしょう。
これはソフトウェアにおいても同様で、MacOS X、Mac OS X Server、QuickTimeあたりに集中していたのではないかと思います。

iMacの細かなリニューアルで膨大なキャッシュをためたAppleは、ついにiPodを発表します。
当初は「ハア?」という反応でした。
これだけだと、ちょっとお洒落なMP3プレイヤーにすぎなかったからです。
そこでiPodとシンクするソフトウェア、iTunesを無料で配布。

さらにジョブスは各レコード会社との交渉を勝ち抜き、楽曲を安価で一曲ごとにダウンロード購入できる、iTunes Music Storeを開始します。
このためにiTunesは、珍しくWindows版も開発しました。
アップル自身は楽曲販売で儲けず、iPodの販売で儲けるという形でした。
結果……業界が不可逆に変わってしまうほどの大成功をおさめました。

またジョブスはアップルを追放された後、NeXT以外にピクサー(Pixar Animation Studio)も経営していました。
こちらでは、お金を注いでじっとガマンするということを学んだようで、制作にはあまり口出しせず、しかし有利な配給ができるよう外部と交渉していました。

その第1作目が「トイ・ストーリー」。大ヒットでした。
続く「バグズ・ライフ」「ファインディング・ニモ」など、続々と作品をヒットさせ、配給側のディズニーは自社制作映画で失敗を続けます。
ここでジョブスは「ディズニーとの関係、やめるかも」と言いだし、「配給してやっていた」ディズニーの立場を「配給させていただく」立場へと転落させました。

気づくと、プレゼンテーションとネゴシエーションの天才であるジョブスは、ディズニーの最大個人株主となっていました。

さて、そうしたジョブスのスピーチを英文とともに追いかけて聞かせ、訳文を読ませ、再び英文を追いかける、という授業をしました。