Oh!Xの思い出

Oh!Xの思い出

古本屋で見つけ、ぬわーっ!と心で叫んで即購入。
もう実機がないけど、泣こうと思えば泣けるくらい懐かしい。
高校時代、こういうのを地味に打ち込んで、音を鳴らして興奮していたのか……と感慨にふける。

X68000といえば、やはり「グラディウス」完全移植だろう。
当時シャープの担当者が「完璧な移植。1ドットでも違ったら腹を切る!」と豪語していたのだが、
後で「1ドットくらいは違うようだ」と言い訳していた(笑)。

ディスプレイだけで15万円とか、時代を感じる。
……ってよく見たら21インチか。当時でこのサイズは高くて当たり前な気がしてきた。
自分が使ってたのは15インチもなかったかも?

なぜOh!Xのバックナンバーを見て「ぬわーっ」だったかというと、20年来の深い後悔があった。

今から30年前、大阪日本橋の電気街の最奥といえる恵美須町駅付近に、
ソフマップJ&Pテクノランドがあった。
その3階には「Oh!X」のバックナンバーがほぼ揃っていた。
当時高校生だった私は、立ち読みしては「お金がたまったらドーンと買いそろえよう」と思っていた。

ついでに言えば、すぐ近くのソフマップ4号店という、消防法無視してないか?と思うペンシルビルがあった。
そこがあらゆる機種の中古ゲームを扱っていて、ここでも「お金があればすぐに……」と思っていた。
いつまでもそれが残っていると信じる、純朴な青年だったのである。

この頃、ソフマップは電気街でんでんタウンだけで10店舗以上あった。
きっと社長は「望月の欠けたることもなし」なんつって藤原道長状態だろうな、と思いながら歩いたものだ。

で、なぜOh!Xだったかというと、情報源がこれとベーマガ(マイコンBasicマガジン)しかなかったからである。
この頃はインターネットなんてない。
またX68000というマイナーPCを理解してくれる友人もいなかった。
マイナーゆえに早々に廃刊危機があったが、社長(出版はソフトバンクだから当然、孫さん)が「いや、これは続けなさい」と言ってくれたと30年前に読んだ遠い記憶にある。間違ってたらごめんなさい。

そしてOh!Xは何か「文化」のにおいがあった。
その後インターネットが普及してからも、スマートフォン登場まではわずかに残っていた
独特のにおいが濃厚に漂う雑誌だったと思う。

ただ大学時代は楽しくやっていたので、あまり日本橋には足が向かなかった。
特に恵美須町付近までは歩くのもしんどいのでほとんど行かなかった。
(今思えば最初から地下鉄で行けば良かったじゃないか。なぜわざわざ日本橋・難波から歩いてたんだろう?)

で、就職した私はいよいよお金があるぞと思い、喜び勇んでJ&Pに向かったわけだが、
そこにあったのは「閉店」の張り紙だった。

あの衝撃は今でも忘れられない。

その紙はまだ貼られたばかりだった。
たしか1〜2週間でも早く来ていれば間に合った。そのくらいのタイミングだった。
あー、もう買えないのか……。そう思いながらとぼとぼ帰った。

それから何度か引っ越しして、そのたび大量の雑誌を捨ててきたが「Oh!X」だけは捨てられなかった。
現在も妻に「なにこれ?」と不思議がられながら並べてある。

そういうバックナンバーを不意に見つけたという、そういう喜びだったのである。
これだけは断捨離するわけにいかぬという、そういう話である。

余談:以前、大阪工業大学の取材でロボティクス&デザイン工学部システムデザイン工学科教授の小林先生の研究室におじゃました。すると本棚に古いベーマガが置いてあり、聞いてみると当時10代の先生の自作プログラムが掲載された号なのだという。
当時の僕にしてみたら、これはもう「神」の一人と呼んで差し支えない。
やっぱりこういう凄い人が若かりし頃に投稿していたのか!と嬉しい驚きだった。